2009年06月30日

アメリカ国務省副報道官のトム・ケーシーが

2007年6月1日にアメリカ国務省副報道官のトム・ケーシーが、「民主化運動(六四天安門事件)に参加した」ことを理由に現在も身柄を拘束されている人々を釈放し、併せて事件の再調査を行うように中国共産党に要請した[22]。また、2009年6月3日にアメリカのヒラリー・クリントン国務長官は、中国共産党政府に「過去の事件を検証し、死者や行方不明者についての報告を行うように」と要求し、事件の検証や拘束中の人権活動家の釈放するよう求めた。

そのほとんどが中華人民共和国と同じく一党独裁国である東側諸国にあっては、東ドイツ政府が、公式に中国共産党による武力弾圧を支持した。また、西側諸国の1国であるものの、一党独裁国家であるシンガポールのリー・クアンユーも、個人的に「自分も同じことをしただろう」と述べた。
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華僑が多く、中華人民共和国と微妙な関係下にあるフィリピンやインドネシアは、事件について直接コメントせず、「(内政のことなので)事件は中華人民共和国と自国とのあらゆる関係に対して影響を及ぼさない」と発表した。

^ 『天安門文書』張良著(文藝春秋 2002年
^ 『北京の長い夜―ドキュメント天安門事件』ゴードン トーマス著 吉本晋一郎訳(並木書房 1993年)
^ 『チャイナハンズ-元駐米国大使の回想』ジェームズ・R・リリー著 西倉一喜訳(草思社 2006年)p.289
^ 『北京特派員』信太謙三著(平凡社新書 1999年)P.44
^ 『チャイナハンズ-元駐米国大使の回想』ジェームズ・R・リリー著 西倉一喜訳(草思社 2006年)p.291
^ 『天安門文書』張良著(文藝春秋 2002年)
^ 『北京の長い夜―ドキュメント天安門事件』ゴードン トーマス著 吉本晋一郎訳(並木書房 1993年)
^ SAPIO(2002/04/10号)特別図解『李鵬[4月来日]の「天安門流血粛清」全手口を暴く/惠谷治』

2009年06月13日

物理学(ぶつりがく、Physics)は

物理学(ぶつりがく、Physics)は、自然科学の一分野である。自然界に見られる現象には、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則があると考え、自然界の現象とその性質を、物質とその間に働く相互作用によって理解すること(力学的理解)、および物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)を目的とする。化学、生物学、地学などほかの自然科学に比べ数学との親和性が非常に強い。

古代ギリシアの自然学にその源があり、"physics"という言葉も、元々は自然についての一般的な知識の追求を意味しており、天体現象から生物現象までを含む幅広い概念だった。現在の、物理現象のみを追求する"physics"として自然哲学から独立した意味を持つようになったのは19世紀からである。

物理学の古典的な研究分野は、物体の運動、光と色彩、音響、電気と磁気、熱、波動、天体の諸現象(物理現象)である。

物理学では物理現象を微視的な視点と巨視的な視点とから研究する。

微視的な視点の代表的なものは素粒子物理学で、自然界に存在するさまざまな物質が分子や原子、電子といった種類の限られた基本要素の組み合わせによって構成されていることを突き止めてきた。素粒子物理学は核子よりさらに基本的な要素であるクォークが存在することを解明し、さらにもっと基本的な要素であるストリングなどが研究されている。また、こうした物質要素の間に働く力が、重力、電磁気力、弱い力、強い力(又は核力)の4種類の力に還元できることも明らかにされてきた。現在知られている相互作用は以上の4つのみである。
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巨視的な視点からは、液体や気体、熱エネルギー、エントロピー、波といった巨視的な物理現象が研究される。こうした巨視的現象も原理的には無数の粒子の微視的現象の積み重ねの結果であると考えられているが、構成粒子数が極端に多いためすべての素過程を記述して、そこから巨視的な現象を導くことは事実上不可能である。一方、こうした巨視的現象には構成粒子の従う法則とは関係なく、物質の巨視的な振る舞いを支配する別個の法則が存在するように見える(スケーリング_(物理学))。例えば、水や雲、蜂蜜といった液体は、原子レベルにさかのぼらなくても液体として同じ法則に従って振る舞い、それらの物質的な特性の違いは粘性のような巨視的なパラメータとして表される。

熱力学や流体力学はそうした巨視的現象の法則からなる独立した物理学上の理論体系である。ここで注意しなければならないのは熱力学や流体力学はそれらの適用範囲においては、他の理論から完全に閉じた理論体系として存在していて、微視的現象を記述する量子力学の下位理論ではないことである。

現代の物理学は巨視的な現象を構成する実在の物質は究極的にはすべて微視的な素粒子から構成されると考えるので、巨視的現象の理論と微視的現象を記述する量子力学とのをつなぐ理論や現象も物理学の重要な研究テーマのひとつである。一般的にこの分野では統計物理学と呼ばれる強力な手法が使われる。ルートヴィッヒ・ボルツマンらによって開発されたこの手法は構成粒子の振る舞いを統計的に処理することによって巨視的現象と結びつけるものである。古典力学の範囲内では現象を確率的に扱うことの正当性が常に問題とされてきた。量子力学の登場によって確率的扱いの根拠を量子力学に求めることが可能になったが、量子力学を出発点として統計物理学を構築する試みは、いまだ完成したとは言えない。

2009年06月08日

無意識の意味2

日常的に流れて行く意識のなかでは、様々な「意識の対象」が存在している。この現在の意識の対象は、現前している感覚・意味・感情等のパターンであるが、また、滞りのない自然な、「気づくことなく」想起されている記憶の内容が、その対象である。

「意識」という言葉自体が、「覚醒意識がある」、「何かに気づいている」という通常の意味以外に、主体が意識している「対象の総体」が存在している「領域」の意味を持っている。何かを「意識している」、または、何かに「気づく」とは、対象が、「意識の領域」に入って来ること、意識に昇って来ることを意味するとも言える。

人間は一生のなかで、膨大な量の記憶を大脳の生理学的な機構に刻む。そのなかで、再度、記憶として意識に再生されるものもあるが、大部分の記憶は、再生されないで、大脳の記憶の貯蔵機構のなかで維持されている。
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このような膨大な記憶は、個々ばらばらに孤島の集団のように存在しているのではなく、連想が記憶の想起を促進することから明らかなように、感覚的あるいは意味的・感情的に、連関構造やグループ構造を持っている。そして、このような構造のなかで記憶に刻まれている限りは、いかなる記憶であっても、再生、想起される可能性は完全なゼロではないことになる。

人の一生にあって、再度、想起される可能性がゼロではないにしても、事実上、一生涯において二度と「意識の領域」に昇って来ない、膨大な量の記憶が存在する。主観的に眺めるとき、一生涯で、二度と想起されないこのような記憶は、「意識の外の領域」に存在すると表現するのが妥当である。

「意識の外」と言っても、科学的には、大脳の神経細胞ネットワークのどこかに刻まれているのであり、「意識の外」とは、主観にとって、現象的に「意識でない領域」に、膨大な記憶が存在するという意味である。このような、「意識でない領域」が、無意識の第二の意味となる。

2009年04月24日

しらせ (砕氷艦)

しらせ(JMSDF AGB SHIRASE(first) class)は海上自衛隊が保有していた砕氷艦。艦番号AGB-5002。南極地域観測隊の南極観測に利用されていた。ましゅう型補給艦が竣工するまでは海自最大の自衛艦だった。

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3ノットで1.5m厚の氷を連続砕氷できる能力を持っている海上自衛隊の砕氷艦(自衛艦の一つ)であり、乗員もすべて海上自衛官である。所属は横須賀地方隊、母港は横須賀。

砕氷艦の特徴である幅のある艦体であり、1本煙突である。氷海での監視用に、マスト上に見張りポストがある。貨物積み下ろし用のクレーンを前甲板に2基、後部に2基装備している。また、艦体後部にヘリコプター甲板と格納庫を備え、輸送用のS-61A-1 2機。[1]と観測用のOH-6D 1機を搭載している。氷海を航行するので通常の艦船にある、ビルジキールが装備されていない。 乗組員居住区と観測隊員居住区は、厨房をはさんで分離されている。観測隊員居室は基本的に2人部屋で、観測隊長室、同副隊長室は個室である。このほか、4人部屋のオブザーバー室、研究室、ラジオゾンデ放球室がある。海賊防止用に自動小銃が装備されている。

推進方式は電気推進(ディーゼルエレクトリック)で、三井造船製ディーゼル機関6台で交流同期発電機を駆動、サイリスタで交流を直流に整流しつつ出力電圧を制御し(静止レオナード方式)、富士電機製直流電動機6台を駆動、軸出力30,000馬力を発生させる。推進軸は3軸で、各々2台の電動機を直列に接続し、外洋航行時は電動機3台、砕氷航行時は全6台を使用する。船内電源は、別置きのディーゼル発電機4台により供給される。

なお、建造費は文部省(現・文部科学省)予算により支出されたが、設計、契約および運用については防衛庁(現・防衛省)が行っている。また文部科学省などの他省庁やマスコミなど一般的には砕氷艦ではなく「南極観測船」と呼ばれているが、本艦の主任務は観測よりもむしろ観測隊員及び物資の輸送である。毎年11月14日に、東京港晴海ふ頭を12:00に出港、オーストラリア・フリーマントル港で1週間停泊の後、12月中旬-下旬に昭和基地に到達していた。

2009年04月07日

グラインドコア

グラインドコア (Grindcore) はハードコアのジャンルの一つ。もともとは1986から88年頃のナパーム・デス(Napalm Death)の音楽性を示すものであった。また、日本のS.O.Bも早い段階から、ジャンルの形成に関わっている。ルーツはさらに遡ることが出来て、シージ、Repulsion、Heresy、Larm、D.R.I. などがグラインドコアの成立に影響を与えたと考えられている。また、グラインドコア特有のボーカルスタイル(デスボイス)は、リー・ドリアンによると、G.I.S.M.の横山SAKEVIの影響が大きいと言う。ナパーム・デスの初期のドラマーミック・ハリスが考え出した言葉だといわれている。

グラインドコアの最大の特徴は、ブラストビートと呼ばれる、スネアやシンバルを高速で叩くドラムビートで、ドラマーは他のパートに比べてかなり高いテクニックが要求される(そのため、ドラムマシンが使用される場合もある)。ギターの音作りは、メタルに近いエッジの立った音で、チューニングを下げて重低音を出すことが多い。リフに関しては、大雑把に言って、デスメタルやスラッシュメタルに近いものと、従来のハードコア的なものの二種類に分けられる。ボーカルスタイルは先述のように、いわゆる「デスボイス」と呼ばれるもので、低音でのうなり声と、狂ったような高音スクリームの二つがあり、それらを織り交ぜて使う事も多い。これらの特徴から、グラインドコアにはメタルファンが付きやすく、ミュージシャンにも長髪が多い。また、グラインドコアは1分未満で終わる極端に短い曲が多く、中には1秒に満たないものもある(ナパーム・デスの You Suffer は有名)。

ナパーム・デスは元々、UK のクラストシーンとも関連が深いバンドで、歌詞も Crass から受け継がれてきた UK ハードコアに伝統的なものが多い。また。実際のクラスティーズがやっているグラインドコア・バンドも多い。一方、グラインドコアはその過程で様々な発展をとげ、今では多種多様なスタイルが出来上がっている。特にカーカスを元祖とするゴアグラインドは、シーンの中でも一つの大きな位置を占めていて、Exhumed のような有名バンドもいる。Sore Throat や 7 Minutes of Nausea、Anal Cunt などにより発展したノイズグラインドは、グラインドの中でも最も過激なジャンルで、ノイズのようなギターや、インプロヴィゼーションに頼った曲、曲にあわせて適当に叫ぶボーカルなどが特徴として挙げられる。数秒から30秒程度の、極端に短い曲が続くバンド・アルバムは、ショートカット・グラインドとも呼ばれる。グラインドコアには一般的な特徴として、独特のテンションの高さがあり、ゴアグラインドやノイズグラインドはそのテンションの高さを活かした、冗談半分の曲も多い。

グラインドコアは UK ハードコアの中でも、特にメタル(スラッシュメタル)の影響が強く、また今でもデスメタルとの関係は深い。また、同時期に発展したパワーバイオレンスやファストコアにもよく関連付けられる。Brutal Truth や Discordance Axis、Pig Destroyer などメンバー全員が高いミュージシャンシップを誇る場合も多く、最近ではカオティックハードコアにも影響を与えている。

チング ハムナ タッセル オセア おおやまと クーポ シカゴ バリケード フィロ スプリン スモーカー プロバ サーチドア シュメール スティバル あっぱれ シャコ マリッジ 回転計 モノレール トップア ラテン ブレキ ティブ ピナフ システ そうよう モビール ラテアー チャレン センター フライド ビアフラ フットウ ガニメデ ブルー 大根ダイ トフロント びえい ネック ひみつの扉 ジーパン ジェリ ゼソウ コスモス しだれ梅 ひのみ レッジ スリラ トラウ

2009年03月23日

小型クロスシートを改良して昼間時の実質的な着席定員

1984年2月から1992年4月にかけて製造された。名鉄では初となる界磁チョッパ制御と回生ブレーキ[11]を装備して省エネルギー化を進め、消費電力を6000系よりも約1割低減させた。また、評判の悪かった小型クロスシートを改良して昼間時の実質的な着席定員を増加させ、設計最高速度も110km/hに向上させて速達性も重視した。6000系4両組成の後継車種であるだけでなく、回生ブレーキ常用、非貫通の前面(パノラマカーを除く)、側面の客扉配置など、その後の名鉄車両の基本となった形式である。

5次車までの車体デザインは、6000系9・10次車と同様に鉄仮面タイプの前面で、100系と同様のステンレスにエッチング処理を施した飾り帯が特徴である。標識灯が1次車のみ2灯式、2 - 5次車はLED1灯式であったが、1次車については、2003年に旧3300系の廃車発生品を流用の上、1灯式のものに交換された。 同系列で不評だった小型クロスシートがやや大型のもの(幅91cm、取り付けピッチ80cm)に変更されたほか、1990年製造車(7次車)までは車端部の壁や座席の裏、仕切り板に木目をプリントした内装とした[12]。同系列では扉間がすべてクロスシートだったが、本系列では中央扉の両側が3人掛けロングシートに変更された。また車体寸法では先頭車と中間車の扉位置が統一され、以後これが標準となっている。1987年製の5次車では冷房装置が1両当たり3基搭載に戻り、乗務員室次位の客室に採光のための小窓が付いた。

1989年増備の6次車からは、先頭形状が右の写真のように前面展望を考慮したデザインに変更されたので、ファンの間では金魚鉢とも呼ばれている。この先頭デザインは、後に3500系などに受け継がれた。同じく、6次車では側窓も下降式(一部固定式)の連続窓に変更されたほか、固定クロスシートもさらに大型化し、ヘッドレストが追加され、取り付けピッチは84cmまで拡大された。最後の1992年に製造された8次車(写真の6523Fと6524F)は最初から全席ロングシートで製造されたほか、1 - 5次車のうち5編成が全席ロングシートに改造されている。前述の6000系9・10次車や後述の6800系と同様に、ロングシート化改造車では元々ロングの部分と元クロス部分との間の肘掛け兼仕切りパイプが残されているのが特徴である。なお、1次車と6000系9次車に限り間仕切り寸法の関係で元クロス部分が6名分から5人掛けに減っており、その分1人あたりの幅は広い。また、ロング化改造と同時に先頭車の運転席直後の2人掛け座席を撤去し、車椅子スペースとしている。

車体断面は、6000系(5 - 8次車)よりも、屋根高さを40 mm 上げて3500 mm に戻り、客室天井(冷房吹き出し口)の高さも、45 mm 揚がった2145 mm となっている。広くなった幕板部には、4次車から側面種別・行先表示幕が追加された。窓・扉配置は、車体長の類似した阪急電鉄などで広く採用されているd(1)D3D3D2(先頭車の場合)である。客扉位置や窓幅の他に寸法の統一として、屋上の冷房装置・熱交換換気装置の配置も全車同一とされている。また、本系列以降車体裾部の外板と台枠の接合部が防錆構造となった。これにより6次車以降や5700系などでは5200系以来久しぶりに下降窓の採用が可能となった。

初期車は、新製から20年以上を経た今も特別整備は未着手だが、特に腐食しやすいとされる戸袋部について、6000系の戸袋部と見比べると、防錆構造の効果の程がはっきりわかる。なお、自重も同系列に比べて軽量化されている。

通常の運転台を持つ車両として、初代5000系以来の復活となった前面非貫通(または非常扉なし)の方式は、地下鉄直通車・一部の機器流用車・気動車を除いて、6000番台系列内はもちろんのこと、デザインを洗練させ5700系、1200系を経て3100系にまで続いている。この意味でも、1つの転機となった形式であると言える。非貫通とした理由は、瀬戸線を除き編成間の連結時に幌を打たないので貫通型とする意味がないことのほか、冬季の隙間風の防止対策もあったという。なお、この傾斜がついた高運転台非貫通の前頭形状や、内装の木目プリントに国鉄117系電車の影響を指摘する向きもある。

登場時は、3扉車であることをアピールするために客扉の上半部を白の塗色とし、これがほどなく本線系の6000系全車にも波及した。この塗色は、3500系登場以後灰色に変更された(「鉄仮面」型前面の窓上部も同様)。しかし、1990年代末頃には3扉車が圧倒的主流となり意味が薄れたため、塗装工程簡略化の目的もあって「白ドア」ないし「グレードア」の塗り分けは廃止され、現在客扉は全面赤一色となっている。

なお、名鉄の車両形式で「○○系」という場合は豊橋方向先頭車両の形式を取るものが多い(6000系は豊橋方先頭がク6000形、1000系はク1000形など)が、本系列は豊橋方がク6400形、岐阜方がク6500形という珍しいケースとなっている[13][14]。全編成4両固定編成で、24編成96両が在籍している。
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

制御装置は、冒頭にもあるようにGTO界磁チョッパ制御となった。モーターは直流複巻電動機(150kW/340V・490A、内扇型)[15]となり、回生ブレーキが使用できるが、架線電圧が高い場合などは回路が切り替わり、発電ブレーキも使用できる。60km/h以上でのノッチオフは断流器を切らずにサイリスタによる電流0A(ゼロアンペア)制御(名鉄での呼称は惰行制御)を行う方式を採用し、再力行や回生ブレーキへの応答性に優れる。発電ブレーキが約10km/hまで効くのに対し、回生ブレーキの効用下限は約30km/hまでである。なお、本系列を始めとして名鉄の界磁チョッパ車の主制御器は東芝製で、力行が直列15段・並列8段、弱め界磁と回生ブレーキは無段階制御である。編成は6000系などの1M方式(MTユニット)とは異なり、MM'ユニット方式の中間電動車に先頭車が制御車という構成になった[16]。台車はSUミンデン型で、電動台車は片押し制輪子である。補助電源装置にもGTOインバータを備えている。パンタグラフは初代5000系と同様に各中間電動車の先頭車寄りに1基ずつ搭載。運転台のマスコンハンドルは7000系などと同じ東芝製のため、形状こそ似ているが、ノッチ数は6000系と同様の4ノッチである。モーターの定格回転数を1700rpmに下げたことで歯車比を5.60(84:15)と6000系よりも小さく取り、最高速度は110km/hに向上した(1996年より実施)。定格速度は48km/hへと若干低くなった。同系列に合わせて起動加速度は2.0km/h/s、弱め界磁率は10%可能のところを15%に抑えた設定である。

2009年03月07日

グリッドレイ (ミサイル巡洋艦)

グリッドレイ (USS Gridley, DLG/CG-21) は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。リーヒ級の6番艦。艦名はチャールズ・ヴァーノン・グリッドレイに因んで命名された。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴
グリッドレイはワシントン州シアトルのピュージェット・サウンド・ブリッジ・アンド・ドライドック社で起工する。1961年7月31日にスチュアート・D・ローズ夫人(グリッドレイ大佐の曾孫)によって進水し、1963年5月25日にP・A・リリー艦長の指揮下就役した。

ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所で整調を行った後、グリッドレイはブリティッシュコロンビア州への親善訪問を行い、その後母港のカリフォルニア州ロングビーチから公試を行った。グリッドレイは1963年11月8日から12月9日までピュージェット・サウンド海軍造船所に留まり、その後大西洋艦隊第19駆逐艦隊の旗艦となる。

1964年初めにカリフォルニア州サンディエゴで整調を行った後、4月8日にロングビーチを出航し真珠湾経由でオーストラリアに向かう。5月5日にサウスオーストラリア州アデレードに到着し、珊瑚海海戦記念祭に参加した。その後フィリピンに向かい5月29日から31日までスービック海軍基地に停泊、続いて6月2日に日本の沖縄に到着し、8日には佐世保に入港した。

グリッドレイは再び南に向かい、スービック湾から香港に向かう。トンキン湾で駆逐艦マドックス(USS Maddox, DD-731)とターナー・ジョイ(USS Turner Joy, DD-951) がベトナム軍哨戒艇から攻撃を受け、グリッドレイは8月4日に事態に対処するため南シナ海で航空母艦コンステレーション(USS Constellation, CVA-64)の護衛任務に従事する。スービック湾で短期間停泊した後、グリッドレイはステーションに留まり防空哨戒任務を継続し、対空戦闘指揮および通信中継任務に従事した。グリッドレイは海軍殊勲部隊章を受章し、9月6日に戦闘海域を離脱する。11月7日にスービック湾を離れ、11月21日にロングビーチに到着する。

グリッドレイは1965年7月10日に西大西洋に戻るまでアメリカ西海岸で活動した。真珠湾と横須賀を経由して南シナ海に向かい、北ベトナムを攻撃する第7艦隊の空母群の支援を行う。続く4ヶ月間でグリッドレイは不時着水したパイロットを4度救出した。12月7日に横須賀に戻り、22日には南シナ海で空母に帰還する艦載機の確認任務を再開する。1966年初めに帰国の途に就き2月1日にロングビーチに到着する。

グリッドレイはカリフォルニア沿岸で活動を続け、11月18日に再びアジアへ向かう。1967年1月2日に南シナ海およびトンキン湾での航空機護衛任務のためスービック湾を出航する。戦闘地域での様々な任務の後オーストラリアを経由して西海岸に向かい、6月8日にロングビーチに到着、次の任務の準備を行う。
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1967年6月8日にジョン・ケリー少尉が初の海外任務のためグリッドレイに着任する。彼の任務は一年後の1968年6月6日に終了した。

リーヒ級ミサイル巡洋艦は1960年代後半から70年代前半にかけて対空戦闘能力の改善が行われた。50口径3インチ砲は8基の AGM-84 ハープーンミサイルと交換され、テリアミサイルランチャーはスタンダードミサイルが発射できるようアップグレードを受けた。また、2基のファランクスCIWSが装備された。

グリッドレイは1975年6月30日に CG-21 (ミサイル巡洋艦)に艦種変更された。同年オペレーション・フリークエント・ウィンド(南ベトナムからの撤退作戦)を支援し、航空管制およびオンステーション支援を提供した。さらに、マヤグエース号事件ではオンステーション航空管制を担当した。

1978年はドックでのオーバーホールを行い、翌1979年に太平洋西部へ展開する。イランアメリカ大使館人質事件の結果、グリッドレイは1980年代中頃までインド洋およびアラビア海北部のステーションに留まることとなる。

1982年3月にカリフォルニア州サンディエゴへ帰還し、カリフォルニア州南部海岸で活動の後グリッドレイはロングビーチ海軍造船所で広範囲な改良および機関全体のオーバーホールを行う。艦の射撃管制および対空捜索レーダーに対してより多くの改良が行われた。また、ファランクスの装着はこのとき行われた。グリッドレイは1983年10月に部隊に復帰する。

1987年7月、グリッドレイはレンジャー戦闘集団の一部としてイランの石油掘削施設への攻撃に参加する。1988年12月にも再びペルシャ湾に展開し、ホルムズ海峡でクウェートの石油タンカーを護衛した。

グリッドレイは1989年6月にカリフォルニア州サンディエゴへ帰還する。同年10月17日、カリフォルニア州トレジャー・アイランドの海軍基地を訪れるが、ロマ・プリエタ地震の発生で訪問は中断され、グリッドレイの乗組員はマリーナ地区の被災者に対して援助を行った。

1990年2月から1991年3月までグリッドレイはサンディエゴのサウスウエスト・マリーン造船所でNTU (New Threat Upgrade)プログラムによる新型戦闘システムが導入された。5,500万ドルをかけたオーバーホールの間に全ての機関と停泊施設、食糧供給施設が改良され、艦の戦闘システムは劇的に増強された。対空探索レーダーおよび戦闘統制システムの改良により、 SM-1 および SM-2 艦対空ミサイルによる多数の標的を検知、対処する能力が改善された。

広範囲な運用評価および検証過程に続いて、グリッドレイは空母インディペンデンス(USS Independence, CV-62)の支援任務のためペルシャ湾に展開する。1992年6月にはアラビア海北部で航行不能となった商船アデル11(Adel 11)を救助する。8月にオペレーション・サザン・ウォッチ(イラク上空の飛行禁止空域施行作戦)が始まり、グリッドレイはクウェート沖合のステーションで同作戦に参加した最初の艦となった。グリッドレイは沿岸地域のレーダー探知およびペルシャ湾北部の艦艇に対する対空防御を担当した。

グリッドレイは1992年10月にサンディエゴへ帰還し、1993年1月から4月までナショナル・スチール・アンド・シップビルディング社でオーバーホールを受ける。この間に新型の SM-2 ブロックIII ミサイルが運用可能となった。この改良により艦は巡航ミサイルを撃墜する能力を得る。1993年7月、グリッドレイは太平洋のミサイル試験海域において新型ミサイルの発射試験を行い3度の成功を記録した。同月空母コンステレーションに随伴してメキシコのアカプルコに向かい、その後フィラデルフィア海軍造船所で3年の耐用年数拡張プログラム・オーバーホールを受けたコンステレーションの護衛を行いサンディエゴに帰還する

2009年02月19日

アメリカ合衆国大統領

アメリカ合衆国大統領(アメリカがっしゅうこくだいとうりょう、英:President of the United States, POTUS)は、アメリカ合衆国の国家元首であり行政府の長である。現職は2009年1月20日より第44代バラク・H・オバマが在任。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

アメリカ合衆国大統領は、アメリカ合衆国憲法第2条第1節の規定により、4年に1度、国民の投票によって新しく選出、又は再任される。修正第22条の規定により、2度を超えて選出されることは認められていない(三選禁止)。大統領選挙は形式的には間接選挙であり、選挙人団によって大統領および副大統領がペアで選出される選挙制度となっている。ただし、一般有権者は正副大統領候補者に投票するため、事実上直接選挙の性格も併せ持つ。

大統領選挙の被選挙権は35歳以上でかつ国内への在留期間が14年以上で、出生によるアメリカ合衆国市民権保持者(合衆国市民の両親が海外で出産した子は対象となる)、または「憲法制定当時に合衆国市民であった者」。伝統的に白人でプロテスタントの男性が大統領に選出されてきたが、1960年にはカトリックであるケネディが当選した。その後は、有色人種や女性は二大政党(共和党と民主党)の大統領候補予備選挙に出馬することはあっても候補者指名を得るには至らなかった。しかし、2008年の大統領選挙では黒人初の大統領候補として民主党の指名を受けただけでなく、米国史上初の黒人大統領としてバラク・H・オバマが当選している。歴代大統領にはイギリス系アメリカ人以外にもアイルランド系アメリカ人、オランダ系アメリカ人、ドイツ系アメリカ人などの非英語圏出身でも当選しており、そしてこのようにアフリカ系アメリカ人が初めて大統領になっていることから差別意識が薄れている事が窺える。また多民族国家のアメリカで様々な系統の大統領が就任するとその同じ系統の人種に大いに歓迎されている事がある。例えばロナルド・レーガンはアイルランドで大歓迎を受け、バラク・オバマは奴隷の子孫ではないもののアフリカ系アメリカ人やその父の故郷ケニアで歓喜に満ちていた。

五人のミスター・プレジデント
左から大ブッシュ (第41代)、オバマ (第44代、当時プレジデント・イレクト)、小ブッシュ (第43代、当時現職)、クリントン (第42代)、カーター (第39代)。2009年1月7日、オーバルオフィスにて大統領の呼びかけの呼称(日本で言う「総理」)は「ミスター・プレジデント」(Mr. President)[1]、略呼称は「サー」(Sir) で、大統領が女性の場合はこれが「マダム・プレジデント」(Madam President)、「マァム」(Ma’am) となる。アメリカでは退任した大統領も儀礼上は生涯大統領として接遇されるため、存命する元大統領も「ミスター・プレジデント」と呼ばれる[2]。また11月初頭に大統領選で当選した大統領候補は、翌年1月20日までの約2ヵ月半のあいだ「ミスター・プレジデント・イレクト」(Mr. President-Elect、大統領選挙当選者または次期大統領) と呼ばれる。プレジデント・イレクトは、儀礼上はまだ大統領としては接遇されないものの、この約2ヵ月半は職務引き継ぎ期間として大統領に対するそれとほぼ同じ内容の「日例報告」を受けたり、シークレット・サービスによる完全体制の身辺警護を受けるため、事実上大統領と同格の扱いとなる。

権限
エイブラハム・リンカーン
16代大統領。奴隷解放宣言で執行権などを最大限に活用した大統領。
[編集] 執行権(行政権)
独立命令である大統領令の発令。大統領令は議会の立法権に干渉してはならないとされるが、行政権の下にある連邦政府や軍に対する直接命令の他、奴隷解放宣言や日系人の強制収容のような、アメリカ国民の重大な人権に直接関わるものも存在する。
判事(裁判官)、大使、各省長官をはじめとする全ての連邦公務員(ただし合衆国憲法または連邦法が特に定めたものを除く)の指名権。ただし上院の承認[3]が必要。
上院休会中に生じた欠員に対して次回の上院の会期満了日を任期として休会任命をする権利。
各省長官の罷免権。
条約の締結権。ただし上院の3分の2以上の賛成による承認[3]が必要。
各省長官から意見を求める権利
連邦議会に法律制定その他の適切と考える施策を勧告する権利。
恩赦、刑の執行延期。
外交使節の接受権。

立法に関する権限
連邦議会への勧告権(「教書」message と言う。最も知られているのが年頭の一般教書演説 (State of the Union Address)。他に予算教書、特別教書(戦争教書)など。近年、一般教書は両院合同会議で演説されるようになった。大統領には法案提出の権限がなく、代わりに教書によって議会に法律の制定を要請することになる。また大統領には議会への出席権が無いので、本来は教書は文書として送達される。教書演説の際には、そのつど議会によって特に招待されなければならない。
連邦議会両院を通過した法案への拒否権。議会に差し戻された法案を大統領の署名なしで法律とするためには両院ともに3分の2以上の多数で再可決しなければならない。
立法がすべて議員発議という制度が厳格に守られていることもあり、かつては非常時でもない限り大統領が政策の主導権を握るようなことはないのが通常だった。しかし第二次世界大戦後の大統領は積極的に政策、特に内政に関与し、所属する政党の議員を動かしてまで自らが望む法律を制定しようとすることも見られる。また論争となりそうな法案については、国民に対して自らの考えを明らかにし、世論を動かすかたちで議会をリードしようとする動きも見られる。

軍指揮権
大統領はアメリカ合衆国軍の最高司令官 (Commander-in-Chief) としての指揮権をもつ。宣戦布告は議会の権限であり、軍隊を募集し編制することも議会の権限である。しかし今日では、議会による宣戦布告を悠長に待っていては先制攻撃が不可能になってしまったり、逆に敵対国から先制攻撃を受けてしまったりする可能性があるため、大統領はこの指揮権を根拠に宣戦布告なしで戦争を開始できることが慣例的(直接大統領命令で派遣でき、議会承認権限の対象とならないアメリカ海兵隊を派遣させるのが通例)に定着している。これに対して議会は、ベトナム戦争におけるなし崩し的な拡大に対する反省から、戦争権限法を定めて大統領の指揮権に一定の制約を設けている。
勤務時間は、「自分で必要と考えるだけ働けば良い」とされている。
大統領の朝最初の仕事は「日例報告」を聞くことから始まる。この報告では首席補佐官、国務長官、国家情報長官らによって、世界中から収集した情報の報告が行われる。

日常的な執務は「オーバルオフィス」と呼ばれる(室内が楕円である事にちなむ)大統領執務室で行われる。この部屋はホワイトハウスのウエストウイングにある。
大統領には万が一に備えて核兵器使用に必要な装置を携帯した将校がいかなる場所へも随行する。
定例の記者会見は定められていないが、通常は1ヵ月に1度以上は行われている。また必要に応じて大統領がテレビで直接国民に語りかけることもある。
毎週土曜日の朝には定例ラジオ演説を行う。5分程度のメッセージが読まれ、近況や現在取組中の課題などについてが説明される。
2007年現在、大統領の給与は年額40万ドル(約4400万円)[4]、これに必要経費5万ドル(約550万円)、旅行経費10万ドル(約1100万円)、交際費1万9000ドル(約210万円)が必要に応じて支給される。

大統領権限継承順位
1947年大統領継承法は、第(a)条(1)項で「もし死亡、辞任、解任、執務不能などの理由により、大統領と副大統領の双方が大統領の責務を果たし権限を執行できない場合には、下院議長が、下院議長と下院議員を辞職したのちに、大統領としてこれを行う」としたうえで、その次を上院仮議長、その次からは内閣の閣僚を所轄省庁の設立年の古い順に並べ、継承順位を第18位まで定めている。

1位 副大統領(上院議長)
2位 下院議長
3位 上院仮議長
4位 国務長官
5位 財務長官
6位 国防長官
7位 司法長官
8位 内務長官
9位 農務長官
10位 商務長官
11位 労働長官
12位 保健福祉長官
13位 住宅都市開発長官
14位 運輸長官
15位 エネルギー長官
16位 教育長官
17位 退役軍人長官
18位 国土安全保障長官
ただし外国で生まれて合衆国に帰化した者など、憲法で定める大統領の資格を満たさない者がこの順位内にいる場合は、その者をとばして下位の者の順位が繰り上がる(現内閣ではカルロス・グティエレス商務長官がキューバ生まれ、イレーン・チャオ労働長官が台湾生まれのため、マイケル・リーヴィット保健社会福祉長官が第10位となって以下2位ずつ繰り上がっている)。

一般教書演説(2003年)毎年1月下旬に議会で行われる大統領の一般教書演説は、アメリカの三権を構成する者のほぼすべてが下院本会議場に集う一大イベントである。しかし冷戦たけなわの1970年代末、大統領府はこの一般教書演説時を狙った東側諸国による首都核攻撃を想定、大統領権限継承者全員と上下両院の議員全員が一堂に会することの危険性を憂慮した。ここをたたかれると、憲法が定める法的な大統領権限の継承者が皆無となるばかりか、そうした憲法的危機を乗り越えるために必要な立法措置をとる議会や、対策手段を公的に承認する最高裁までが、一瞬にして消滅してしまう可能性があるからである。

その結果1981年の一般教書演説からは、閣僚の大統領権限継承者の1人を内密に「指定生存者」に指名し、その者を首都ワシントンから相当の距離をおいた非公開の場所に当日は待機させる(つまり隠す)ことにした(2007年はアルベルト・ゴンザレス司法長官)。

さらに、あくまでも想像上の事態であった首都攻撃が、アメリカ同時多発テロ事件(9/11テロ)で現実のものになると、2005年の一般教書演説からは議会も各院で民主党と共和党からそれぞれ1人ずつ、計4人の議員を「指定生存者」として一般教書演説の日は首都を離れさせ、最悪の事態が起きた場合でも両院で議長と議員がいる連邦議会が生き残れるようにした。ただし過去3年において、上院では大統領権限継承順位が3位の上院仮議長が上院の指定生存者の1人となっており、これがこのまま慣例として定着すると、あえて閣僚の指定生存者を指名する必要性が失われてしまう点が指摘されている。

なお大統領が死亡するなど、職務不能時に大統領に昇格した場合。前大統領の任期が残り2年以内であれば、その後の大統領選挙に2度挑戦できる。つまり、アメリカ合衆国大統領は最高で10年出来ることになる。(修正憲法第22条)

2009年02月03日

朝倉氏(あさくらし)は、越前国を拠点とした豪族

朝倉氏(あさくらし)は、越前国を拠点とした豪族で、後に発展して戦国大名となる。越前国守護である斯波氏の守護代を務めたが、のちに朝倉氏自体が守護に任命されるようになった。通し字は「景」。
ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

出自は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市)であり、はじめは日下部(くさかべ)を姓とした。『越州軍記』によると開化天皇、『朝倉始末記』によると孝徳天皇の後裔とされている。

越前国守護斯波氏に仕える。甲斐氏、織田氏と共に斯波三守護代の第二席。のちに守護代三家で斯波氏領国三国を分けることになる。

室町時代には朝倉孝景(英林孝景)が守護代甲斐常治とともに主である斯波義敏と対立し、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱では山名持豊(宗全)率いる西軍から細川勝元率いる東軍に属し、越前から甲斐氏を追う。朝倉孝景は越前国守護に取り立てられ一乗谷城に拠った。孝景は分国法である『朝倉敏景十七ヶ条』を制定した。

旧主の斯波義敏が越前守護職を回復せんと、朝倉氏の越前実効支配について幕府に異議を申し立てると、かつての守護斯波義廉の子を鞍谷公方(足利義持の弟、足利義嗣の子・嗣俊を祖とする。室町将軍家の越前における分家、鞍谷御所と呼ばれて尊崇を集めていた。)の養子として足利義俊と名乗らせた上で、幕府の反対を押し切ってこの義俊を"名目上越前国主"として擁立し越前守護の斯波氏に対抗した。のちに朝倉氏自体が越前守護に任じられることとなったため、鞍谷公方足利氏は朝倉氏の客将と化し、朝倉氏が名実ともに同国の大名となった。 戦国時代には越前支配のみならず、隣国若狭、近江にも進攻し、領土を広げたが、尾張国の織田信長と対立し、1573年、滅ぼされた。

家伝
開化天皇?彦坐王?船穂足尼?豊忍別乃君?島根尼君?太尼牟古乃君‐‐‐表米?荒嶋‐‐‐利実?用樹?蕃在?親泰?広佐?佐清?朝倉宗高?朝倉高清?朝倉高景?朝倉高吉?朝倉高実?朝倉高景?朝倉高資?朝倉広信?朝倉広景?朝倉高景?朝倉氏景?朝倉貞景?朝倉教景?朝倉家景?朝倉孝景?朝倉氏景?朝倉貞景?朝倉孝景?朝倉義景

歴代当主
朝倉広景【一】
朝倉高景【二】
朝倉氏景【三】(大功宗勳)
朝倉貞景【四】(大心宗忠)
朝倉教景【五】(心月宗覚)
朝倉家景【六】
朝倉孝景【七】(英林孝景)
朝倉氏景【八】
朝倉貞景【九】
朝倉孝景【十】(宗淳孝景)
朝倉義景【十一】

一族
(不明な点も多く諸説あり)

開化天皇
 :
日下部佐晴
 ┃
朝倉宗高
 ┃
 高清
 ┣━━━━━━━┓
 高景     八木安高
 ┃       ┃
 広景1     八木氏へ
  ┃
 高景2
  ┃
 氏景3
  ┃
 貞景4
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 教景5                                                          頼景
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓     ┣━━┓
家景6                                                    将景    景頼 景隆 
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━┳━━━┓      ┣━━┓  ┃  ┃
英林孝景7                             経景  与一  光玖 勝蔵坊 景冬     景正 景世 景継 景契      
  ┣━━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━━━━┓     ┣━━━┓   ?  ?   ┃      ┃  ┃  ┃  ┃ 
氏景8  孫四郎 景総 教景 時景 景儀 景明    宗滴    景職 祖心紹越 教景 景均  景豊     景忠 景純 景種 景頼    
  ┃       ┣━━┓        ┃     ?     ┃          ┃   ┣━━━┓  ┃  ┃
 貞景9      余六 地蔵院      景純    景紀    景隆          某 九郎兵衛 春蘭軒 景富 義海
  ┣━━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓  ┣━━┓  ┣━━┓  ┃          ┃   ?   :  ┃  ┃
宗淳孝景10 景高 景郡 景紀 道郷 景延 景近 景尚 景垙 景恒 景健         景盛 春蘭軒  景嘉 景忠 景保  
  ┃    ┣━━┓  ┃  ┃     ?      ┃                ┃   :      ┃
義景11  景鏡 在重 景垙  某     景尚    七郎               景茂  景嘉     景富          
 ┣━━━┓   ┃  ┃  ┃                                       ┃
阿君丸 愛王丸  宣正 七郎 道景                                      景忠 

系譜関係がよくわかっていない一族
朝倉景宗
朝倉景連
朝倉景綱
朝倉景胤
朝倉景泰  
朝倉信景

主要家臣団
宇野久重
魚住景貞
印牧広次
栂野和泉守
堀江景用
堀江景忠
山崎吉家
魚住景固
真柄直隆
真柄直澄
河合吉統
富田長繁
前波景当
前波吉継
鳥居景近
高橋景業
伊部 某(?):近年、一乗谷城遺跡の平井地区にある武家屋敷の井戸の中から木簡及び遺物出土。

主要関係者
【広景(初代)?貞景(4代)】

足利尊氏
足利義詮
足利義嗣
斯波高経
斯波義将
【教景(5代)?家景(6代)】

足利義教
甲斐常治
【孝景(7代)?氏景(8代)】

足利義政
甲斐常治
堀江利真
斯波義敏
斯波義廉
山名宗全
細川勝元
伊勢貞親
骨皮道賢
浦上則宗
斎藤妙椿
宗祇
宗長
【貞景(9代)?義景(11代)】

細川政元
細川晴元
土岐頼武
斎藤利国
斎藤利良
斎藤龍興
足利義稙
足利義晴
足利義輝
足利義昭
織田信長
明智光秀
浅井長政

子孫
土佐に早期に分かれた分家(朝倉友景系)が残る。
早期に分家した一族と考えられている溝江氏が、豊臣秀吉に馬廻として仕え、のち1万石で旧領復帰。関ヶ原にて西軍に所属して改易となる。その後、浪人したのち、彦根藩士として存続した。
水戸藩には、朝倉時景系と伝わる小田原北条氏家臣の朝倉氏が藩士として存続した。同家から分かれた江戸幕府旗本朝倉家もある。
英林孝景の次男・朝倉秀景の孫・朝倉政元は、後北条氏、豊臣秀次、徳川家康と仕え、政元の子・朝倉政明は徳川秀忠に仕え、500石の旗本として存続した。
徳川家康家臣→駿河大納言徳川忠長付家老→古河土井氏家臣と続いた朝倉氏(朝倉宣正系)がいる。朝倉景鏡の甥とされるが、父親の動向等に不明な点が多く、越前朝倉氏との関連は確定ではない(北条家臣、もしくは伊勢、遠江の朝倉氏等の系統か?)。
越前朝倉氏滅亡後、越後国に朝倉愛王丸が落ち延びたという伝承が、また、出羽などにも子孫伝承が残るが、真偽は不明。
日本海側各所に一向宗と結びついた「朝倉末裔伝説」がパターン流布している。
上杉謙信を頼り、朝倉家再興を果たそうとした朝倉景嘉がいるが、謙信の死により頓挫した。
備後の鞆にいた足利義昭(実質的には毛利氏)に頼り朝倉家を再興しようと奔走した朝倉宮増丸、及び家督後継者と擬せられていた朝倉景忠がいるが、中国戦線の悪化により不成功に終わった。

2009年01月20日

落語研究会 (サークル活動)

落語研究会(らくごけんきゅうかい)は、部活動・クラブ活動・サークル活動のひとつである。落語の鑑賞や研究を主とするが、実演や興行などを行う場合も多い。

略称は「落研」。読み方は当然「らっけん」となるはずで、当初はそう呼ばれていた。ある時期から、湯桶読みされて「おちけん」と読まれることが圧倒的に多くなった。「落ち研」と表記されることも多い。
組織ごとにサークルは存在するが、大学の部活動・クラブ活動・サークル活動が特に知られている。プロ落語家によって指導されることも多く、プロ落語家の供給源ともなってきた。

創成期
大学に落語研究会が初めて結成されたのは、1948年。早稲田大学の「芸能文化研究会」である。会長は同大学の暉峻康隆(当時、助教授)。これは後世に第一次「早稲田大学落語研究会」として語られている。設立者は以下の3人たちである。

小沢昭一(麻布中学、高校卒業後、早稲田大学学生)
加藤武(麻布中学、高校卒業後、早稲田大学学生)
大西信行(麻布中学、高校卒業後、早稲田大学学生。大学除籍後、NHK入局)
彼らが様々な理由によって大学から去ると共に、会も消滅した。

1953年10月に、暉峻康隆自身が第二次「早稲田大学落語研究会」[1]を結成した。会長は暉峻康隆、顧問は教授の石川栄耀。現在にいたる。

1950年に結成された「東京大学落語研究会」[2]は落語の研究で知られている。OBたちは「東大落語会」という名で組織され、今日まで以下の研究書を出版している。

『落語事典』
『三遊亭小円朝集』 (3代目三遊亭小円朝は東京大学落語研究会の指導をしていた)
『三遊亭小圓朝 : 三代目三十三回忌追悼・四代目襲名記念集』
『三遊亭金馬集』 (3代目)
『桂小南集』 (2代目)
他に「東京大学落語研究会OB会」名義で

『円生全集』(6代目)
『柳家小さん集』(5代目)
ほか、代表格の山本進の単独著書は多数出版されている。

連合組織
1966年5月、野村雅昭(東京教育大学学生。のちに早大教授)らが14の大学の落語研究会を組織して「全関東大学落語連盟」を結成した。略称は「全落連」。「全学連」のもじりである。機関誌『落語』を発刊した。野坂昭如が小説化している。

野村は現代国語の最高権威者(日本語学会会長)。JIS漢字コード制定・改定で知られる。
それとは別に、2005年、関東落研連合(関落連)[3]が結成された。

全国大会
地域おこし運動として、落語研究会対抗の全国大会を開催している自治体がある。

全日本学生落語選手権・策伝大賞
岐阜県岐阜市が2004年より毎年開催している。岐阜市は落語の祖・安楽庵策伝の出身地である。笑いと感動のまちづくり運動の一環として行われている。優勝者には「策伝大賞」が贈られる。

主催
岐阜市
岐阜市笑いと感動のまちづくり実行委員会
NHK岐阜放送局
共催:安楽庵策伝顕彰会ほか
後援:日本笑い学会ほか
放送
NHK衛星第2放送
地元のNHKラジオ第1
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

ホームページ SAKUDEN.jp

全国学生落語真打大会inあじしま
宮城県石巻市が網地島にて2007年より開催している。[4]

主催:全国学生落語真打大会実行委員会
後援:石巻市ほか

落語研究会を題材とした作品

小説
大倉崇裕 『オチケン!』(理論社ミステリーYA!)
(コメディでなくミステリー小説である。)
野坂昭如 『ああ軟派全落連』(1974年)

映画
多数にわたるため、代表的な作品を記す。

「の・ようなもの」(日本ヘラルド) 森田芳光(日本大学芸術学部落語研究会OB)監督デビュー作 [5]
この映画の落語研究会は高校の部活。
DVDは角川エンタテインメントより発売。
「花とアリス」 岩井俊二監督 [6]
短編、長編(東宝)の両バージョンとも。
この映画の落語研究会も高校の部活。
主演は鈴木杏(落語研究会部員役。高座名:花家ピュンピュン丸)
落語研究会の男の部員と少女二人(鈴木杏と蒼井優)との三角関係というストーリー。
「羽織の大将」(東宝)
主演のフランキー堺は大学の落語研究会部員で、「全落連」委員長という役(フランキーの卒業間際のシーンから始まるので、落語研究会そのものは描かれない)。
フランキー自身は前掲の小沢・加藤・大西らと麻布の同級生で、ともに落語に耽溺した。
「喜劇 冠婚葬祭入門」(松竹)
原作は塩月弥栄子(当時の大ベストセラー)。カメオ出演もしている。
3代目古今亭志ん朝が、大学生で落語研究会部員の役として出演。
主なキャストは三木のり平、倍賞美津子など。

落語
柳家喬太郎(日本大学経商法落語研究会OB)
「すみれ荘201号室」
「純情日記横浜篇」

落語研究会出身の有名人

プロの落語家
ここでは真打以上を記す。

桂三枝 関西大学落語大学[9]
3代目柳家権太楼(落語協会常任理事) 明治学院大学落語研究会[10]
五街道雲助(落語協会元理事) 明治大学落語研究会[11]
三遊亭楽太郎 青山学院大学落語研究会
立川志の輔 明治大学落語研究会
立川談幸 明治大学落語研究会
三遊亭右紋 明治大学落語研究会
古今亭右朝 日本大学芸術学部落語研究会
林家錦平 東海大学落語研究部
柳家一九 東海大学落語研究部
春風亭昇太 東海大学落語研究部
春風亭昇乃進 東海大学落語研究部
六代目古今亭今輔 東海大学落語研究部
桃月庵白酒 早稲田大学落語研究会[12]
桂雀三郎 龍谷大学落語研究会[13]
桂吉弥 神戸大学落語研究会[14]
3代目桂小春團治 立命館大学落語研究会[15]
桂都丸 立命館大学落語研究会
古今亭菊志ん 愛媛大学落語研究会
桂こごろう 大阪芸術大学[16]
桂よね吉 詫間電波工業高等専門学校(ただし高校時代)
柳家小里ん 東京都立江北高等学校(ただし高校時代)
桂春之輔 大阪府立桜塚高等学校(ただし高校時代)
桂蝶六 大阪府立桜塚高等学校(ただし高校時代)
桂文珍 大阪産業大学落語研究会
桂坊枝 神戸学院大学落語研究会
笑福亭鶴瓶京都産業大学落語研究会(ただし中退)
立川志らく日本大学芸術学部落語研究会