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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

グリッドレイ (ミサイル巡洋艦)

グリッドレイ (USS Gridley, DLG/CG-21) は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。リーヒ級の6番艦。艦名はチャールズ・ヴァーノン・グリッドレイに因んで命名された。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴
グリッドレイはワシントン州シアトルのピュージェット・サウンド・ブリッジ・アンド・ドライドック社で起工する。1961年7月31日にスチュアート・D・ローズ夫人(グリッドレイ大佐の曾孫)によって進水し、1963年5月25日にP・A・リリー艦長の指揮下就役した。

ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所で整調を行った後、グリッドレイはブリティッシュコロンビア州への親善訪問を行い、その後母港のカリフォルニア州ロングビーチから公試を行った。グリッドレイは1963年11月8日から12月9日までピュージェット・サウンド海軍造船所に留まり、その後大西洋艦隊第19駆逐艦隊の旗艦となる。

1964年初めにカリフォルニア州サンディエゴで整調を行った後、4月8日にロングビーチを出航し真珠湾経由でオーストラリアに向かう。5月5日にサウスオーストラリア州アデレードに到着し、珊瑚海海戦記念祭に参加した。その後フィリピンに向かい5月29日から31日までスービック海軍基地に停泊、続いて6月2日に日本の沖縄に到着し、8日には佐世保に入港した。

グリッドレイは再び南に向かい、スービック湾から香港に向かう。トンキン湾で駆逐艦マドックス(USS Maddox, DD-731)とターナー・ジョイ(USS Turner Joy, DD-951) がベトナム軍哨戒艇から攻撃を受け、グリッドレイは8月4日に事態に対処するため南シナ海で航空母艦コンステレーション(USS Constellation, CVA-64)の護衛任務に従事する。スービック湾で短期間停泊した後、グリッドレイはステーションに留まり防空哨戒任務を継続し、対空戦闘指揮および通信中継任務に従事した。グリッドレイは海軍殊勲部隊章を受章し、9月6日に戦闘海域を離脱する。11月7日にスービック湾を離れ、11月21日にロングビーチに到着する。

グリッドレイは1965年7月10日に西大西洋に戻るまでアメリカ西海岸で活動した。真珠湾と横須賀を経由して南シナ海に向かい、北ベトナムを攻撃する第7艦隊の空母群の支援を行う。続く4ヶ月間でグリッドレイは不時着水したパイロットを4度救出した。12月7日に横須賀に戻り、22日には南シナ海で空母に帰還する艦載機の確認任務を再開する。1966年初めに帰国の途に就き2月1日にロングビーチに到着する。

グリッドレイはカリフォルニア沿岸で活動を続け、11月18日に再びアジアへ向かう。1967年1月2日に南シナ海およびトンキン湾での航空機護衛任務のためスービック湾を出航する。戦闘地域での様々な任務の後オーストラリアを経由して西海岸に向かい、6月8日にロングビーチに到着、次の任務の準備を行う。
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1967年6月8日にジョン・ケリー少尉が初の海外任務のためグリッドレイに着任する。彼の任務は一年後の1968年6月6日に終了した。

リーヒ級ミサイル巡洋艦は1960年代後半から70年代前半にかけて対空戦闘能力の改善が行われた。50口径3インチ砲は8基の AGM-84 ハープーンミサイルと交換され、テリアミサイルランチャーはスタンダードミサイルが発射できるようアップグレードを受けた。また、2基のファランクスCIWSが装備された。

グリッドレイは1975年6月30日に CG-21 (ミサイル巡洋艦)に艦種変更された。同年オペレーション・フリークエント・ウィンド(南ベトナムからの撤退作戦)を支援し、航空管制およびオンステーション支援を提供した。さらに、マヤグエース号事件ではオンステーション航空管制を担当した。

1978年はドックでのオーバーホールを行い、翌1979年に太平洋西部へ展開する。イランアメリカ大使館人質事件の結果、グリッドレイは1980年代中頃までインド洋およびアラビア海北部のステーションに留まることとなる。

1982年3月にカリフォルニア州サンディエゴへ帰還し、カリフォルニア州南部海岸で活動の後グリッドレイはロングビーチ海軍造船所で広範囲な改良および機関全体のオーバーホールを行う。艦の射撃管制および対空捜索レーダーに対してより多くの改良が行われた。また、ファランクスの装着はこのとき行われた。グリッドレイは1983年10月に部隊に復帰する。

1987年7月、グリッドレイはレンジャー戦闘集団の一部としてイランの石油掘削施設への攻撃に参加する。1988年12月にも再びペルシャ湾に展開し、ホルムズ海峡でクウェートの石油タンカーを護衛した。

グリッドレイは1989年6月にカリフォルニア州サンディエゴへ帰還する。同年10月17日、カリフォルニア州トレジャー・アイランドの海軍基地を訪れるが、ロマ・プリエタ地震の発生で訪問は中断され、グリッドレイの乗組員はマリーナ地区の被災者に対して援助を行った。

1990年2月から1991年3月までグリッドレイはサンディエゴのサウスウエスト・マリーン造船所でNTU (New Threat Upgrade)プログラムによる新型戦闘システムが導入された。5,500万ドルをかけたオーバーホールの間に全ての機関と停泊施設、食糧供給施設が改良され、艦の戦闘システムは劇的に増強された。対空探索レーダーおよび戦闘統制システムの改良により、 SM-1 および SM-2 艦対空ミサイルによる多数の標的を検知、対処する能力が改善された。

広範囲な運用評価および検証過程に続いて、グリッドレイは空母インディペンデンス(USS Independence, CV-62)の支援任務のためペルシャ湾に展開する。1992年6月にはアラビア海北部で航行不能となった商船アデル11(Adel 11)を救助する。8月にオペレーション・サザン・ウォッチ(イラク上空の飛行禁止空域施行作戦)が始まり、グリッドレイはクウェート沖合のステーションで同作戦に参加した最初の艦となった。グリッドレイは沿岸地域のレーダー探知およびペルシャ湾北部の艦艇に対する対空防御を担当した。

グリッドレイは1992年10月にサンディエゴへ帰還し、1993年1月から4月までナショナル・スチール・アンド・シップビルディング社でオーバーホールを受ける。この間に新型の SM-2 ブロックIII ミサイルが運用可能となった。この改良により艦は巡航ミサイルを撃墜する能力を得る。1993年7月、グリッドレイは太平洋のミサイル試験海域において新型ミサイルの発射試験を行い3度の成功を記録した。同月空母コンステレーションに随伴してメキシコのアカプルコに向かい、その後フィラデルフィア海軍造船所で3年の耐用年数拡張プログラム・オーバーホールを受けたコンステレーションの護衛を行いサンディエゴに帰還する

2009年03月23日

小型クロスシートを改良して昼間時の実質的な着席定員

1984年2月から1992年4月にかけて製造された。名鉄では初となる界磁チョッパ制御と回生ブレーキ[11]を装備して省エネルギー化を進め、消費電力を6000系よりも約1割低減させた。また、評判の悪かった小型クロスシートを改良して昼間時の実質的な着席定員を増加させ、設計最高速度も110km/hに向上させて速達性も重視した。6000系4両組成の後継車種であるだけでなく、回生ブレーキ常用、非貫通の前面(パノラマカーを除く)、側面の客扉配置など、その後の名鉄車両の基本となった形式である。

5次車までの車体デザインは、6000系9・10次車と同様に鉄仮面タイプの前面で、100系と同様のステンレスにエッチング処理を施した飾り帯が特徴である。標識灯が1次車のみ2灯式、2 - 5次車はLED1灯式であったが、1次車については、2003年に旧3300系の廃車発生品を流用の上、1灯式のものに交換された。 同系列で不評だった小型クロスシートがやや大型のもの(幅91cm、取り付けピッチ80cm)に変更されたほか、1990年製造車(7次車)までは車端部の壁や座席の裏、仕切り板に木目をプリントした内装とした[12]。同系列では扉間がすべてクロスシートだったが、本系列では中央扉の両側が3人掛けロングシートに変更された。また車体寸法では先頭車と中間車の扉位置が統一され、以後これが標準となっている。1987年製の5次車では冷房装置が1両当たり3基搭載に戻り、乗務員室次位の客室に採光のための小窓が付いた。

1989年増備の6次車からは、先頭形状が右の写真のように前面展望を考慮したデザインに変更されたので、ファンの間では金魚鉢とも呼ばれている。この先頭デザインは、後に3500系などに受け継がれた。同じく、6次車では側窓も下降式(一部固定式)の連続窓に変更されたほか、固定クロスシートもさらに大型化し、ヘッドレストが追加され、取り付けピッチは84cmまで拡大された。最後の1992年に製造された8次車(写真の6523Fと6524F)は最初から全席ロングシートで製造されたほか、1 - 5次車のうち5編成が全席ロングシートに改造されている。前述の6000系9・10次車や後述の6800系と同様に、ロングシート化改造車では元々ロングの部分と元クロス部分との間の肘掛け兼仕切りパイプが残されているのが特徴である。なお、1次車と6000系9次車に限り間仕切り寸法の関係で元クロス部分が6名分から5人掛けに減っており、その分1人あたりの幅は広い。また、ロング化改造と同時に先頭車の運転席直後の2人掛け座席を撤去し、車椅子スペースとしている。

車体断面は、6000系(5 - 8次車)よりも、屋根高さを40 mm 上げて3500 mm に戻り、客室天井(冷房吹き出し口)の高さも、45 mm 揚がった2145 mm となっている。広くなった幕板部には、4次車から側面種別・行先表示幕が追加された。窓・扉配置は、車体長の類似した阪急電鉄などで広く採用されているd(1)D3D3D2(先頭車の場合)である。客扉位置や窓幅の他に寸法の統一として、屋上の冷房装置・熱交換換気装置の配置も全車同一とされている。また、本系列以降車体裾部の外板と台枠の接合部が防錆構造となった。これにより6次車以降や5700系などでは5200系以来久しぶりに下降窓の採用が可能となった。

初期車は、新製から20年以上を経た今も特別整備は未着手だが、特に腐食しやすいとされる戸袋部について、6000系の戸袋部と見比べると、防錆構造の効果の程がはっきりわかる。なお、自重も同系列に比べて軽量化されている。

通常の運転台を持つ車両として、初代5000系以来の復活となった前面非貫通(または非常扉なし)の方式は、地下鉄直通車・一部の機器流用車・気動車を除いて、6000番台系列内はもちろんのこと、デザインを洗練させ5700系、1200系を経て3100系にまで続いている。この意味でも、1つの転機となった形式であると言える。非貫通とした理由は、瀬戸線を除き編成間の連結時に幌を打たないので貫通型とする意味がないことのほか、冬季の隙間風の防止対策もあったという。なお、この傾斜がついた高運転台非貫通の前頭形状や、内装の木目プリントに国鉄117系電車の影響を指摘する向きもある。

登場時は、3扉車であることをアピールするために客扉の上半部を白の塗色とし、これがほどなく本線系の6000系全車にも波及した。この塗色は、3500系登場以後灰色に変更された(「鉄仮面」型前面の窓上部も同様)。しかし、1990年代末頃には3扉車が圧倒的主流となり意味が薄れたため、塗装工程簡略化の目的もあって「白ドア」ないし「グレードア」の塗り分けは廃止され、現在客扉は全面赤一色となっている。

なお、名鉄の車両形式で「○○系」という場合は豊橋方向先頭車両の形式を取るものが多い(6000系は豊橋方先頭がク6000形、1000系はク1000形など)が、本系列は豊橋方がク6400形、岐阜方がク6500形という珍しいケースとなっている[13][14]。全編成4両固定編成で、24編成96両が在籍している。
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

制御装置は、冒頭にもあるようにGTO界磁チョッパ制御となった。モーターは直流複巻電動機(150kW/340V・490A、内扇型)[15]となり、回生ブレーキが使用できるが、架線電圧が高い場合などは回路が切り替わり、発電ブレーキも使用できる。60km/h以上でのノッチオフは断流器を切らずにサイリスタによる電流0A(ゼロアンペア)制御(名鉄での呼称は惰行制御)を行う方式を採用し、再力行や回生ブレーキへの応答性に優れる。発電ブレーキが約10km/hまで効くのに対し、回生ブレーキの効用下限は約30km/hまでである。なお、本系列を始めとして名鉄の界磁チョッパ車の主制御器は東芝製で、力行が直列15段・並列8段、弱め界磁と回生ブレーキは無段階制御である。編成は6000系などの1M方式(MTユニット)とは異なり、MM'ユニット方式の中間電動車に先頭車が制御車という構成になった[16]。台車はSUミンデン型で、電動台車は片押し制輪子である。補助電源装置にもGTOインバータを備えている。パンタグラフは初代5000系と同様に各中間電動車の先頭車寄りに1基ずつ搭載。運転台のマスコンハンドルは7000系などと同じ東芝製のため、形状こそ似ているが、ノッチ数は6000系と同様の4ノッチである。モーターの定格回転数を1700rpmに下げたことで歯車比を5.60(84:15)と6000系よりも小さく取り、最高速度は110km/hに向上した(1996年より実施)。定格速度は48km/hへと若干低くなった。同系列に合わせて起動加速度は2.0km/h/s、弱め界磁率は10%可能のところを15%に抑えた設定である。

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